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常設展

1 日本海交流と東アジア

加賀は日本海に面して海岸が長く伸び、能登は日本海に大きく突き出しています。こうした地形は日本海を通じた交流を促し、古代には山陰地方や東北地方、さらに対岸の大陸や朝鮮半島との間で人や物が往来することになりました。 大和政権を中心として統一国家が成立した時代でも、地方色豊かな古代文化を育んだ日本海交流の軌跡は、豪族が築いた古墳や渤海使ぼっかいしがもたらした文物にうかがえます。

2 能登国・加賀国の誕生

飛鳥時代には、律令りつりょうという法に基づいた国家のしくみが整い、国を治める宗教として仏教が重視されました。 越国こしのくにと呼ばれた北陸地方でも地方行政が浸透し、奈良時代の718(養老2)年に能登国が、平安時代の823(弘仁14)年に加賀国が越前えちぜん国から分立されました。 律令制のもと、農民はよう調ちょうなどの重い税を課せられました。平安時代のお触書ふれがき加賀郡かがぐん牓示札ぼうじふだ」からは、農業に励むよう命じられた農民の暮らしが見えてきます。