令和6年度夏季特別展 知の大冒険 ―東洋文庫 名品の煌めき―
-
未知の世界との出会いは、いつの時代も人々の好奇心をくすぐるもの。飛行機もインターネットもなかった時代、人々は航海へと旅立ち、書物が世界を駆けめぐりました。「東洋学」の研究図書館である東洋文庫はそうした知の探究の歴史の宝庫です。東洋世界を案内するのは、教科書で見たことのあるような有名な書物や地図、絵画たち。日本屈指のコレクションの中から選りすぐった名品とともに、東洋の旅へと漕ぎ出しましょう!
【東洋文庫とは?】
東京都文京区に位置する東洋文庫は、東洋学分野のアジア最大級の研究図書館であり、世界五大東洋学研究図書館の一つです。愛書家でも知られる三菱第三代社長・岩崎久彌が、北京駐在のオーストラリア人ジャーナリスト、G.E.モリソンの旧蔵書を一括購入した「モリソン文庫」を核に、1924(大正13)年に設立され、現在の蔵書は国宝5点、重要文化財7点を筆頭として100万冊を超えます。
チラシ(PDF:6.12MB) 出品一覧(PDF:556KB)
【展示内容と主な展示品】※前後期で展示替えあり、資料はすべて公益財団法人東洋文庫蔵
プロローグ
東洋世界への旅のはじまりとして、西洋人がつくった「アジア」の地図をガイド代わりに、紀元前の昔から今日までこの地に生み出されてきた数々の文字を取り上げ、東洋の諸言語を紐解きます。
ベルギーの地図作家オルテリウスが製作した世界初の近代地図帳『世界の舞台』に掲載された1枚。本地図帳は大変な人気を博し、ラテン語、オランダ語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、英語などの版が作られ、ヨーロッパ各地で広く用いられた。1582年にローマへ派遣された天正遣欧使節団は、現地の植物学者からこの地図帳を贈られ、日本に持ち帰ったといわれる。
第1章 東洋の旅
中国、朝鮮、東南アジア、インド、そしてイスラーム世界。東洋の各エリアの文化や風土の特徴的な一面を、百科事典、歴史書、地理書、探検記たちが案内します。
朝鮮国王の外交使節団・朝鮮通信使の一行を正使から下官までの人物とその服装、武器、旗、乗り物などを彩色して詳細に描き、注記を施した絵巻物。将軍の代替わりごとに派遣された朝鮮通信使は、豊臣秀吉の出兵によって悪化していた朝鮮王朝との関係を立て直すべく、徳川家康が対馬藩を介した交渉の後に実現した。延べ12回行われた使節団の派遣は、国外の文化や情報と交わる貴重な機会であった。
16世紀半ばのアントワープ(現ベルギー)は国際的な商業都市として栄え、世界の地理情報が集まった。地図製作者ホンディウスは、「メルカトル図法」にその名を残す地理学者のメルカトルの地図原版を譲り受け、新たに36図を加えて改訂し、『新地図帳』としてアムステルダムで出版した。本図はインドシナ半島からマレー半島、フィリピン諸島、インドネシアの島々を網羅しており、フィリピン東岸にはイギリスとオランダの東インド会社の商船が確認できる。
第2章 西洋と東洋 交わる世界
15世紀半ばに大航海時代が幕を開け、東西の航路が開かれます。西洋の人々が東洋を訪れ、見聞きし、体験した事柄を記した書物をお供に、東西世界の交わりを探ります。
ベネチアの商人マルコ・ポーロが、父と叔父と東方を旅した際に見聞きしたこと、体験したことがまとめられた旅行記。マルコが語った体験談を小説家のルスティケッロが筆記してまとめたとされている。ヨーロッパで活版印刷技術が発明された15世紀後半からは各国で様々な言語の印刷本が出された。東洋文庫には年代がわかるものだけでも、出版年・出版地・言語が異なる『東方見聞録』が約80種類ある。
ロビンソン・クルーソーが無人島に辿り着き、さまざまな工夫をして28年間生き抜いて、イギリスに帰還する冒険譚。表題の英語を読むと彼自身による著作だと書かれているが、ロビンソン・クルーソーは架空の人物であり、本当の著者はダニエル・デフォーというイギリスのジャーナリスト・作家である。本書はイギリスにおける小説の先駆けと言われており、イギリス中流階級の世界観、精神史を研究する上で格好の資料。
フランス人宣教師たちの報告書をまとめたもので、長崎の地図など日本に関する記述も含まれる。東洋文庫所蔵本は、ブルボン朝最後の王妃マリー・アントワネットが所有していたものとされる。豪華な装飾が施され、表紙に箔押しされているのは、アヤメの花をモチーフとした「フルール・ド・リス」と呼ばれるブルボン朝の紋章である。
第3章 世界の中の日本
16世紀以降、西洋の人々が日本という島国にたどり着きました。日本を取り巻く世界の記録をひもとき、日本がいかに生まれ、そして変化していったのか、その道のりをたどります。
『論語』は、孔子と弟子たちの言行録で、中国で最もよく読まれた書物の一つといえる。一つ一つのフレーズが短いため、数多くの解釈が生まれ、注釈書がつくられた。『論語集解』は、三国時代に魏に仕えていた何晏が注釈を集めて編纂した書で、完全な形で伝わる『論語』の注釈書としては現存最古のもの。東洋文庫が所蔵する本書は、鎌倉幕府に仕えた清原教隆が1242(仁治3)年に書写したものをもとに、1315年に書写したもの。
『文選』とは、6世紀前半の中国の王朝「梁」の皇太子蕭統(昭明太子、501~531)が編纂した詩文集で、梁より以前の1,000年間に生まれた文学作品の中から、約800篇の優れた作品を選んで収録している。日本に伝来したのは7世紀頃と考えられ、長きに渡って知識人の教養書として広く読まれた。東洋文庫が所蔵する本巻は、『文選』の代表的な注釈を集めて再編集したもので、当時の日本で漢文学がどのように読まれていたのかをうかがうことができる。
アヘン戦争(1840-42)における、イギリスの軍艦と清の兵船団との海戦を描いた銅版画。アヘンの取締りを強化する清に対し、イギリスは軍艦16隻を差し向け、主要都市を次々と攻略した。本図は、珠江の河口で起こった戦闘を描いたもので、画面中央で清のジャンク船が破壊されている。画面右奥にイギリスの艦隊が描かれているが、この軍艦は東インド会社が当時の最新技術を投入して完成させたネメシス号である。
エピローグ
東洋文庫の核となる「モリソン文庫」に関連する資料を展示します。大正期に行われたモリソン文庫の水濡れ資料の復旧作業は、現代の文化財保存の在り方とも繫がっています。
モリソン文庫が渡来して数日後の1917(大正6)年9月30日、大型台風の直撃により東京を大潮と河川氾濫が襲い、モリソン文庫を保管していた深川の倉庫も浸水してしまった。水濡れした資料は駒込に運ばれ、洗浄・乾燥・装丁の取り換えなど、必死の復旧作業が行われた。展示資料は、表紙裏に書き込みがあるために分離が難しいと判断されたのか、表紙は取り替えられずに水濡れの跡がそのまま残っている。
-
- 会 期
-
2024年7月19日(金)~2024年8月4日(日)
2024年8月6日(火)~2024年9月1日(日)
- 時 間
- 9:00~17:00(展示室への入室は16:30まで)※7月19日(金)のみ10:00開場
- 休館日
- 8月5日(月)
- 会 場
- 特別展示室 企画展示室
- 観覧料
-
一般1,200(960)円 大学生・専門学校生960(760)円
- *高校生以下無料
- *( )内は20名以上の団体料金 65歳以上の方は団体料金
- *障害者手帳または「ミライロID」ご提示の方および付添1名は無料
- *常設展もあわせてご覧いただけます
- *加賀本多博物館は別途、観覧料が必要です
- *電子チケットもご利用いただけます(日時指定なし)。
- 関連イベント
-
記念講演会「知の大冒険攻略ガイド-名品で旅する東洋世界-」詳しく見る
ワークショップ「自分だけの絵地図をつくってみよう!」詳しく見る
ミュージアムコンサート「西洋と東洋が出会う音楽の旅」詳しく見る
学芸員による展示解説(8/3)詳しく見る
学芸員による展示解説(8/21)詳しく見る
- 主催
- 石川県立歴史博物館・読売新聞社
- 監修
- 公益財団法人東洋文庫
- 特別協力
- 北國新聞社
- 後援
- NHK金沢放送局、MRO北陸放送、石川テレビ放送、テレビ金沢、HAB北陸朝日放送、エフエム石川