加賀国安宅関勧進帳之図(かがのくにあたかのせきかんじんちょうのず)
3枚継。紙本木版刷。大判錦絵。
義経一行が山伏に変装して奥州に向かう際、加賀国安宅では頼朝の命を受け、富樫が関所を設け通過を取り締まっていた。義経の家来の弁慶は東大寺建立のための勧進山伏だと名乗ったが、疑いをもった富樫は勧進帳を読めと命じる。弁慶は往来物の巻物を勧進帳に見立て読み上げ、一行は関所を通過する。能の「安宅」、それをもとに創作された歌舞伎「勧進帳」は人気が高く、繰り返し上演されてきた。歌川豊宣(1859~86)は2代歌川国久の長男で、香蝶楼、一陽斎と号した。
- 時 代
- 1882(明治15)年
- 寸 法
- 縦36.2cm
横25.2cm - 作 者
- 歌川豊宣(一陽斎豊宣)