粟ヶ崎遊園ポスター(あわがさきゆうえんぽすたー)
金沢の近郊、内灘の砂丘地にかつて存在した粟ヶ崎遊園のポスター。
創設者平沢嘉太郎は“北陸の材木王”といわれた金沢の商人で、関西の財界人小林一三の経営する「宝塚」をめざし、1925(大正14)年約6万坪の敷地に遊戯場、大浴場、動物園、野球場、スキー場などをもつ“北陸の宝塚”を出現させた。特に園内の大劇場では大衆演劇や少女歌劇(レビュー)が人気を呼んだ。しかし、戦時色が深まる1941(昭和16)年には遊園も閉鎖を余儀なくされ、戦争の波の中に消えていった。
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- 時 代
- 1934(昭和9)年
- 寸 法
- 縦79.0cm
横53.0cm