浅井畷合戦図屏風(あさいなわてかっせんずびょうぶ)
6曲1隻。紙本淡彩。
1600(慶長5)年9月、石田三成や大谷吉継らは会津征伐に向かった徳川家康に対し挙兵し、関ヶ原の戦いが始まった。前田利長は家康に母の芳春院を人質として江戸に差し出していたため東軍に与した。
それより以前、西軍の大谷吉継は利長の動きを封じるため越前や加賀南部の諸大名の多くを西軍に与させた。危機感を抱いた利長は、7月26日西軍の丹羽長重が守る小松城を攻撃したが手間がかかると判断し、8月3日に山口宗永の守る大聖寺城を攻略し越前へ進軍した。しかし、大谷吉継の偽報を受け撤退し、8月8日浅井畷付近で小松城の丹羽長重軍に攻撃され大きな被害を受けた。
この屏風は浅井畷付近の地形を描き浅井畷合戦の考証を加えたもので、作者の牧忠輔は200石の加賀藩士である。
- 時 代
- 江戸時代 1803(享和3)年
- 寸 法
- 各縦61.0cm
各横34.5cm
- 作 者
- 牧忠輔