織田信長朱印状(おだのぶながしゅいんじょう)
能登の武将長連龍(ちょうつらたつ)宛の朱印状。
印は馬蹄形の「天下布武」印である。1577(天正5)年9月、上杉謙信によって能登国守護畠山氏が滅び、七尾城に籠った反上杉の家臣団も落城とともにその運命をともにした。その時、畠山氏の重臣であった長氏も当主続連、嫡子綱連ら一族のほとんどが滅んだが、連龍は援軍を求めに安土へ行っていたため生き延びた。連龍は能登へ帰り穴水城を奪取したが反撃を受けきれず、越中守山の神保氏張の下へ脱出し信長の援助を願った。本文書は還俗を果たした連龍に対し、派兵と南方の固めについて準備を整えること、丹波攻めが決着に向かっていることなどを伝えている。
- 時 代
- 安土桃山時代 1579(天正7)年
- 寸 法
- 縦16.6cm
横51.0cm - 文化財
- 石川県指定文化財