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京都の芸術家本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が加賀藩の重臣長連龍(ちょうつらたつ)にあてた書状。1602(慶長7)年に京都方広寺(ほうこうじ)の大仏が炎上したことを伝える内容である。方広寺大仏は豊臣秀吉が東大寺大仏にならって1586(天正14)年に造立したが、地震により倒壊した。秀吉の死後、子の秀頼によって再建されたが、鋳物師の失火により大仏殿は炎上した。
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