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二俣町は町内を3区画に分け、葬儀の際は喪家が属する区画の住人16人ほどで担いだ。オカンを使用する以前は周辺の山間部と同じく、ガンダイに直接棺を乗せて運んでいたが、昭和30年代に入り町で霊柩車を見かけたのをきっかけに、本泉寺門徒総代他数名が有志となり町内から寄付金を集め購入した。内部にはスピーカーが内蔵されており出棺時には音楽を流した。 1970(昭和45)年頃まで使用。
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